Art_story 橘天敬の藝術

“芸は神なり 術は人なり” 

橘 天敬   (1906〜1984)    

 人々は語り合いながら、人と自分とを区別する。人々は径から道へと 拓いて、風景と自分とを同化する。人々は陽春の柔らかな輝きの下に、緑草を見つける。広大無限な大宇宙の偉大さを、新芽に見出す。芸術とは何だろ・・・・・日本の建物がそうであるように、自然と人との融合を求める願望を秘めている。西洋建物の、天に鋭く伸び、人間を誇張する思想とは根源的に異なろう。
 日本の伝統美を尊び、さらに発展をと試みるなら和洋折衷文化の現代から何を拾い上げ、何を取り去るのかが芸術家の創造であり、主張だ。

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 わたしは、芸術の文字を“芸”と“術”に解体して考えてみると、芸とは神、すなわち大自然そのものではないか。また術とは、“すべ”、すなわち人間の技である。術が神を相手に同化すれば、宗教的なあの澄んだ魂の再現となって結晶する。
 作品を生みだす芸術家の宿命は感動を素直にかつ十分に白紙に満たしきることにある。それゆえ、躍動美とか調和といった抽象概念を、作品という具体的な主張で世に問うもの・・・・・そう思えるのだ。



橘 天敬 画歴年表

明治39年(1906)
- 京都に生まれる。生後間もなく直心影流薙刀術(じきしんかげりゅうなぎなたじゅつ)宗家である園部政利・繁雄夫婦を通じ、福岡県嘉穂郡大谷村(現・飯塚市)の園部稲吉・すゑの夫婦に預けられるが、戸籍上は稲吉の兄、儀助の亡くなった次男、義文として育つ。幼少期に“成功”という雅号の先生に絵画の手ほどきを受けたのがきっかけで画家を志す。

昭和元年(1926)
- この頃より仏教美術研究に専念。山口県佐和郡観念寺にて「如来像」(180×300cm)制作。

昭和2年(1927)
- 福岡県禅導寺にて壁画作成。昭和25年頃まで雅号は園部香峰。宮崎県高千穂町道路修理の為、絵画50点を寄贈。

昭和3年(1928)
- 宮崎県の依頼により「天孫降臨之図」を描く。(現・霧島神宮所蔵)

昭和4年(1929)
- 荒木十畝画伯の推薦により読画会展に「池辺」を招待出品。

昭和5年(1930)
- 養母すゑの没す。福岡市福岡日日新聞社主催、“園部香峰 渡伊送別日本画展”開催。

昭和8年(1933)
- タイ、インド、中国、ヨーロッパ各国を遊学する。タイ国立博物にて個展開催。 -「メナムの黎明」タイ国立博物館所蔵

昭和9年(1934)
- シンガポールにて個展開催

昭和10年(1935)
- 海外遊学中に文展に招待出品する。

昭和11年(1936)
- 1月、香港グロスターホテルにて個展開催。中国各地を歴訪。

昭和13年(1938)
- 外務省欧州局長市川彦太郎氏扱にて、外務省よりイタリー国に「降魔之図」(273×303cm)を贈る。イタリー国立博物館所蔵。第12回新構造社展に「歓喜」(273×546cm)出品。満州国協和会本部所蔵。日東美術院(公募展)を創設。上野精養軒に於いてのレセプションには文部省、独・伊・満州各国大使列席。

昭和14年(1939)
- パウリッチ公が来日、イタリー大使館でのレセプション招待の折、 横山大観、荒木十畝と共にイタリー政府より文化勲章を贈られる。

昭和15年(1940)
- 第13回 新構造社展に「興亜」(273×485cm)出品。東京都美術館に於いて日東美術院第一回公募展を開催。以後昭和18年まで開催。(戦時中により止む無く中断)

昭和16年(1941)
- 「立正安国」(273×1515cm)陸軍省所蔵

昭和17年(1942)
- 「高丘親王御図」昭南神社陸軍省所蔵

昭和18年(1943)
- 岡部文部大臣、横山大観画伯と共に美術学校改革。「闘魂」(242×303)発表。

昭和24年(1949)
- 東京美術学校西田正秋教授の進言により橘香果と称する。

昭和25年(1950)
- “橘天敬”と改名する。これにより障壁画の製作にかかる。

昭和27年(1952)
- 丸の内東京会館にて個展“橘天敬新作会”を開催。

昭和32年(1957)
- 丸の内工業倶楽部にて個展“橘天敬展”を開催。

昭和35年(1960)
- メキシコ政府招請によりメキシコ国立美術館にて展覧会開催。

昭和37年(1962)
- 「富岳雲海図」を芝白金迎賓館において展示、 - ロバートケネディー氏に贈呈される。氏没後、国立フリーア美術館に移館。

昭和38年(1963)
- 「無心光明」制作、池上本門寺所蔵。

昭和39年(1964)
- 「日暖かし帝城の春」制作、逓信総合博物館所蔵。

昭和40年(1965)
- 明治神宮参集殿にて個展“橘天敬の芸術”開催。 -「八州之気図」(220×1100cm)発表。明治神宮宝物殿所蔵。

昭和41年(1966)
- 西テキサス州立大学において“日本美術”について講演。 -西テキサス州立大学芸術学部名誉教授に就任。

昭和45年(1970)
- 東京美術倶楽部にて個展“橘天敬障壁画展”開催。「静姿正観(風神)至情霹靂(雷神)」(218×1100)制作、発表。

昭和46年(1971)
- 米国テキサス州バンハンドル・ブレンズ歴史博物館にて障壁画展開催。バンハンドル・ブレンズ歴史博物館に障壁画6点収蔵。

昭和47年(1972)
- 米国ワシントンDC国立フリーア美術館に障壁画「静姿正観(風神)至情霹靂(雷神)」(218×1100)1970年作収蔵。

昭和50年(1975)
- 三越本店7階大ホールにて個展“橘天敬の藝術”開催。

昭和52年(1977)
- 5月駐仏日本大使館後援でパリ市ドロアン画廊にて個展“L’ART DE TENKEI TACHIBANA”開催。パリ市より芸術功労賞授賞。

昭和53年(1978)
- 11月福岡岩田屋にて個展開催。真言宗大本山国分寺第68世座主光明円院大僧正西口公教猊下の導きにより入道得度。

昭和54年(1979)
- 1月大阪阪急百貨店にて個展開催。

昭和55年(1980)
- 6月米国テキサス州バンハンドル・ブレンズ歴史博物館にて展覧会開催。 -「スターンの桜」バンハンドル・ブレンズ歴史博物館に収蔵。

昭和57年(1982)
- 5月倒れ、闘病生活に入る。

昭和59年(1984)
- 6月1日逝去。戒名 小松院殿天敬義仁大居士。葬儀委員長は美術評論家、三宅正太郎氏。 -導師は大本山国分寺 第68世座主大僧正 西口公教(真言宗)

平成5年(1993)
- 英国大使博物館ジャパンギャラリーにおいて -10月7日から11月7日まで橘天敬遺作展“橘天敬の藝術―Between Heaven and Earth”開催。 -大英博物館に「和楽之図」(248×1464)1975作.収蔵。

平成14年(2002)
- 11月帝国ホテルにて個展開催。

平成15年(2003)
- 5月帝国ホテルにて個展開催。

平成16年(2004)
- 6月逓信総合博物館において「橘 天敬屏風絵展」開催。

平成17年(2005)
- イタリア上院議会(ローマ)ジュスティニアーニ宮殿に於いて「橘天敬芸術展」を開催。  ※8月、東京国際フォーラムに於いて、第1回アートフェア東京2005に 「飛躍する銀鱗」出展。

平成18年(2006)
- 東京美術倶楽部にて「橘天敬 生誕100年記念屛風絵展」開催。

平成19年(2007)
- 4月1日パリ、アテネ劇場にて「橘天敬 屏風絵展」開催。同月、アートフェア東京2007に「スターンの桜」出展。

平成20年(2008)
- 4月、アートフェア東京2008に「文武之図」右隻出展。

平成21年(2009)
- 4月、アートフェア東京2009に「悠々無限」出展。7月18日公開の全編イタリアロケの フジテレビ開局50周年記念劇場映画「アマルフィ 女神の報酬」(東宝配給)に「清生楽々天地之間」美術協力。

平成22年(2010)
- 黄桜酒造「辛口一献」テレビCMに「文武之図」美術提供。4月、アートフェア東京2010に「早春」出展。